パワースポットは「場所」ではなく「心」や「人」である
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先日、ちょっとした飲み会に参加しましてね。
すっごい丸めていうと異業種交流会なんだけれど、ネットで集めたんではなくって、ある人が「この人はほかの人の前に出したら(紹介したら)面白そう!」っていう人だけを紹介の連鎖で集めたような会。
全部で20人ちょいだったかな。僕も、知ってる人も知らない人もいた。
で、その会に行って、とてもパワーを頂戴したんですよ。
まあ、ありがちって言われるとありがちなんだけれど、
・楽しいこと、すごいことをやっている方がいらっしゃって、自分がどうJOINできるか考える
・今度はあの輪の中心に自分が入れるように成長したい
・この場に今度はあの人を連れてきたい
こんなことを考えたんですね。ほかの会にはない強さで感じたんです。
余談ですがこの気持ちが冷めないうちになにか始めるのがコツなんですよね、本来。
パワースポットは信じないけど
パワースポットって言葉あるじゃないですか。富士山だとか石川県のどこかだとか、明治神宮のなんかだとか・・・。ぼくは、ああいうの全然信じていないです。
例えて言えば血液型や星座の占いくらいで、話題にして「ははは」って笑うのはいいけれど、それを基にガチで何かやられたら迷惑千万。
そんな感じでパワースポットも信じていないです。
で、そんな僕が先日の会で思ったのは
「この会、パワースポットみたいだな」
ってこと。参加者の中にはリピーターさんがいらっしゃって、やっぱり何かしらのパワーになっていることを示唆されていました。
定期的に会えるああいう場、何かの気持ちの養分が補充されていくんですよね。
パワーは人の心から
そんな会を思ったから感じたことは、
・スタンプラリーをしているかのようにパワースポットを巡ったって、パワーなんかもらえない
・パワースポットって言葉は胡散臭いけれど、パワーを頂ける場がない、というわけではない。
・パワーを頂くためにはその場所に関わった人の心を知ることが大切。どれだけの熱さでその場所を作り、守り、戦ってきたか。それを知って初めて「パワー」スポットになりえる
・既存のパワースポットだけでなく、パワーのある人が集まる場は、可動式の「パワースポット」になる。
なんてことなんですね。
つまり、
作った人・運営している人の心が場所に気持ちを込める。込めた気持ちの大きさを知るから、訪れた人はその場所からパワーを頂ける
そんな風に思ったわけです。
その会にはまた参加したいんだけれど、今度は自分が人にパワーをあげられる存在になりたいなあと思ったりした次第で。ぼくに熱い気持ちやすごい魅力やでっかい夢があってそれを表現し続けられれば、きっと僕は僕の心を何かおすそ分けできて、自分自身が可動式パワースポットになれるんだ。
そんな気がしてます。
あらあらかしこ