Unfortunated odaiji

僕の残念はみんなの微笑み。生活にちょっとした「クスッ」を。

本屋さんと提携しているカフェの椅子はふかふかだった。


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その店は、本屋さんとカフェが連携しているところだった。

 

本を何冊か購入するとブレンドコーヒーの無料券がもらえ、隣接のカフェに行ってその無料券を渡すだけで暖かいコーヒーを飲むことができる。

 

最近はタブレットKindleアプリで電子書籍を購入してばかりのボクだったけれど、平日午後の知人との待ち合わせまで1時間あるという状況の中、のんびり本でも読みながらブレンドコーヒーを飲みたいとガラにもない小さな欲求を持ってしまったのだ。

 

ラッキーなことにそれほど価格も高くなく、しかも興味深い本が三冊ほど見つかり、それらでコーヒーを無料で飲めることになりそう。1時間あるとはいえ待ち合わせだけに後ろをずらすことはできない。ぱっぱと買い物してさくっと無料券をもらうのがダンディのやることだ。

 

 「ありがとうございましたー。こちらコーヒーの無料券でございます。あちらのカフェでお求めください

 

書店の店員さんは知的ながらも奥ゆかしいかわいらしさを持ったチャーミングな女性。本当は無料券じゃなかったとしても怒れないくらい。まあそんなことないんだけれど。

 

チケットをもらい、心はいそいそとしつつも落ち着いた足取りでカフェに向かう。40過ぎたおっさんだからね。ちょろちょろしちゃいけないんだ。

カフェ。25席くらいはあるだろうか。先客1名。パソコンを使って作業している。あー、持ち込んでも大丈夫な感じのカフェなんだね。今度はのんびり来たいよね。そんなことを考えながらカウンターに向かった。

 

どうやら先にお金を払って商品を受け取る仕組みのカフェらしい。ということはチケットを渡せばコーヒーが飲める。

カウンターの向こうには美しい店員さん。知的な雰囲気というよりは、テニスサークルの姫かなんかじゃないか、みたいなそんな感じ。ほかにももう一人いて、この時間は2人で回しているのかな。お客さん一人のところに2人もいるからずいぶん余裕のある時間帯なことで。

 

「すみません、あちらの本屋さんで買い物をして、こちらのブレンドコーヒーが無料で飲めると聞いてやってきました」

 

そういってチケットを差し出すとその姫様が受け取り

 

「ありがとうございます お客様、只今コーヒーがポットから無くなった状態で現在新しいコーヒーを淹れている最中でございます。数分かかりますが入りましたらお席までお持ちいたします おかけになってお待ちいただけますでしょうか?」

 

あ、了解。本買ってるし丁度いいよね。

 

出口近くのテーブルに腰をおちつけたボク。そこには深く腰を落とせる柔らかい椅子。油断して背もたれに身体を預けたら余裕で寝落ちできるやつ。気持ちいい。

 

外出先で決まった時間まで作業をする場合、スマホのアプリを使うことが多い。時間になると音が鳴らず、バイブレーションだけ行うやつだ。これをつかうとほかのお客様にご迷惑をかけず、しかも作業に集中することができる。

 

興味のある人は「バイブアラーム」というiPhoneアプリを検索してみるといいだろう。

 

これをお店を出るギリギリの時間の5分前に設定し、本を読み始めた。

 

いや、買った本が大当たりでね。1冊は知り合いのブロガーさんのワークショップを手伝ってから興味を持ち始めたスケッチの本。1つのスケッチは3分から5分で描きなさい、みたいなテーマで、使うペンやスケッチの描き方の基礎、描写の仕方、3次元のスケッチの仕方などいろいろ出てる。

ラクガキに興味のあったボクが引き込まれるには十分の本だった。その後このスケッチを実践するには至っていないんだけれど、やってやろうって気持ち十分な本。

 

2冊目は故・杉浦日向子さんの書籍で江戸時代の生活・食事・行事など風俗全般を扱ったもの。杉浦さんは「現代の江戸人」とも言われたほど江戸時代に精通した漫画家さんで、亡くなって10年たつ今年もでも先日、杉浦さんの代表作「百日紅」がアニメ映画化されている。主人公の女性を杏さんが、主人公のお父さんの絵師を松重豊さんが声優を務めたということでも話題になっている。

 

江戸時代の写真などは無いため、漫画家である杉浦さんの画力が冴える。町人の髷はどんなものだったのか。大奥の女性の化粧はどのように変わっていったのか、町人の女性の髷が時代によってどのような違いがあるのか。これらを杉浦さんのイラストで教えてくれるため、100の言葉でご説明いただくよりもはるかに分かりやすい。

また、江戸時代の酒と肴が事細かに説明してあって、このレシピ今度真似してやろう、なんて思いながら楽しく読むことが出来た。

 

3冊目は池波正太郎さんのエッセイ。先日取材で池波正太郎さんの書斎を訪れたことがあったんだけれど、いやーやっぱり昭和の文豪かっこいい!って思いながら読むわけ。

 

「寿司屋に行ったらシャリなんて言わず、普通にご飯って言えばいいんですよ」

 

僕がデートした女性に言っても「あんた何言ってるの?」で終わっちゃうけれど、池波さんの言葉だったら「ああ、それが本当のツウなんだわね」って認められちゃうと思う。

 

「てんぷら屋に行くときは腹をすかして行って、親の敵にでも会ったように揚げるそばからかぶりつくようにして食べなきゃ」

 

僕が独りで天ぷらがっついていたら「まあ、あの人ったらお行儀の悪い」なんて後ろ指さされそうなものだけれど、池波さんの言葉だったら認められちゃうかもしれないもんね。

 

とまあ、こんな風に読書を楽しんでいたんだ。

 

そしたらね。

 

ポケットがブーッ ブーッ ブーッ ブーッ ブーッ って振動してるわけ。

さっき設定したバイブアラームが振動してるんだよ。

 

そうか、もう時間か。

 

そう思って気づいたね。まだボクはコーヒーを飲んでいなかったってことに。


テーブルにコーヒーが置かれてるわけじゃない。

もちろん、店員の子がなんか言ってきてもない。

僕は小一時間、カフェの椅子に座って読書をしているただのおじさんだったんだ。

回りを見てみるとお客さんが10人ほどは入ってる。スパゲティをたべるおじさんもいれば、ケーキを食べ食べしつつコーヒーを飲んでるお姉さんもいる。どうやら僕が注文した時に淹れているコーヒーは出来上がっているみたいだった。

パソコンで作業をしていた若者はすでにいなかった。

 

僕は・・・。

 

店員さんはボクが座ったあと、ほかのお客さんが沢山きて忙しくなっちゃったんだな。

2人の連携がたまたま悪くて、僕が据わって待っていることがシェアされないまま担当が変わったりしちゃったんだろうな。

もしくは店員さんのシフトの切れ目で別のスタッフに変わっちゃったんだろうな。

 

理由はなんでもいいんだ。とにかく僕は何もお皿の出ていないテーブルで小一時間、本を読んでいたことになる。

 

店の中をぐるっと見渡し、ぼくにコーヒーが来なかった理由を考えている間に待ち合わせ時間は刻々と迫ってくる。クレームをグダグダ言って、ブレンド貰って、ゴクゴク飲んで、待ち合わせ場所に向かうような余裕はすでにない。

 

テーブルに置いてある2冊の本と今手に持っている1冊の本をカバンに押し込み、僕は急ぎ店を出た。

 

「ありがとうございましたー♪」

 

 

 

 

と言ってくれる店員はいなかった。僕はその店に居なかったんだ。