「怒り」に対するスルー力
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ブログを書いたりSNSを使ってたりするときに必要な「スルー力」って、自分のブログやSNS上のコメントに関する言われなき誹謗中傷や文章をろくに読んでいない人の条件反射による「わけわかめ」なコメントに対する批判、主題以外の的外れな批判(夜景を上手に撮影する方法みたいなブログを書いた時に、夜景はそもそもばかばかしい、みたいな)をいかにスルーしたり無視したりするか、ってことが多いんじゃないかなと思うんだけれど。
最近はそのほかにも、自分が感じた怒りや不愉快さをうまくスルーさせる力という「スルー力」があると楽なんじゃないかなと思ったりしてるわけで。
たとえばTwitterで第三者同士が言い争いをしているところに、火事と喧嘩は江戸の華ではないけれど「いやオレもこっちの方は許せないぜ!」ってやっちゃうの。まあその人なりにご立腹だったり許せなかったりすることはあるんだろうけれど、あなたが乱入したところで情勢は変わらないよ、ってところだったりすることがあるよね。
言い争いをしている当事者にしてみたら、いきなりその場にもいなかったし経緯も知らない人が目をつぶって両手をぐるぐる回して乱入してくるようで
わわわわっ、なにそれ!?
ってなっちゃう。でまあ、その乱入してきた人って前後の微細な状況とかそもそも置かれた立場とか分かってない状態の乱入だから、ちょっと筋が違ってきちゃったりするんだよね。
またそうやって、感情的に乱入すると言葉遣いがあんまり良くなくなっちゃったりしてね。妙に罵倒したり必要以上に上から見てたり「自分は冷静に見てましたけどね」って感情たっぷりに言っちゃって良いことがあんまりなかったり。
で結局、怒りにまかせて他者の議論に乱入しちゃうと
・その言い争ってる人からも引かれちゃう
・その議論をウォッチしている人からも引かれちゃう
・ネット上にある「共通の知人」からも引かれちゃう
みたいなことがあって、あんまり得することってないと思うのよ。自分の怒りを公表するなら、それは感情にまかせた物と言うよりは、その結果誰かが得をするかということを考えた方が良いのかなーと。
アベセーケンとかハンゲンパツとかはいろいろ感情的に書き込む人が多いしそういう感情的な書き込みって全く興味ないんだけれど、彼らは何かしら日本の未来を考えているんだから、まあ言うのもしょうがないかなって思う。
でも、ローカルな議論に、あんまり首を突っ込み過ぎなくてもいいと思うのよ。
結果、いらっとすることがあったり納得がいかないことがあっても、よっぽど世のため人のためにならないことでない限りはその議論に乱入するのは利益が少なくって、Twitterならうまい具合にエアリプするとか、Facebookなら自分の意見について冷静に書くとか、別途ブログにしたためるとか、そういう風にして強い感情を昇華させた方がいろいろお得じゃないかなって。
そういう怒りに対するスルー力というか対応力もこれから身につけて行きたいなーなんて思う今日この頃でござるよ。